週刊裏ダメ出し

劇団代表ごまのはえが劇団員に厳しいダメ出し!
第13号〜第23号。

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第13号

人は一年に一歳ずつ歳をとる。当り前のことだが今回私が言いたいのは、一日で一瞬にしてドカッと歳をとってしまう時があるのではないかということだ。これはあるコントにも書いたことだが演歌歌手には18才という歳はない、16才から35才まで全部「27才」である、坂本冬美を想定してほしい、彼女は「27才の下のほう」でデビューして今は「27才の上のほう」にいる、18才も22才もなかった、おそらく16才ぐらいから彼女はもうすでに27才だったのだ、磯野キリコもそうだろう、沢田アヤ子もそうだろう、どうも27才というのは女性にとってひとつの形になりやすい歳なのかもしれない、『シティーハンター』に出てくる女はみんな27才みたいだった。
某演劇人から聞いた話によると、マンガ読み芸で有名な某々さんはあるユニット公演の際に共演する若い子らが「アムロ」を知らないことにびっくりして落ち込んだそうである。たしかに、その気持ちわかる。俺も自分とこの劇団員が中森アキナを知らないと知ってどうしていいのかわからなくなった、アキナを知らないんだぜ、マッチとアキナのあの事件も知らないんだ、マッチのお母さんの骨が盗まれたことも知らないんだ、途方にくれたね。
このように劇団では若手とコミュニケーションをとることは難しいことである、でも彼らが確実に老けていくのをじっくり見るのはとても楽しいことだ。
安田一平という男がいる。今年で確か21、2だったと思う。この男がいまグングン老けている、目に見えて老けていく、外見の老けかたに声がついていってないから、よけいに痛々しい、毎日稽古場で顔を合わせるたびに、今日はここが老けたなと確認できてうれしい。肌が違ってきた、ハリがなくなってきた、冷凍の肉マンをラップもかけずにレンジで温めてそのまま放置したようなハリだ、当然笑顔もかわってくる。「一平ちゃん」と愛らしく呼ばれているが、それもどうかと思う、だって汗のニオイがもうオッサンだから、あとはエッチなお店にいくだけである。
きっと一平の旬は17、8だったんだと思う、だって一平はどちらかというと「弟」キャラだから。17、8を過ぎた一平は今、急激なメタモルフォーゼをとげている、彼にはたぶん20代という時間はないんだ、もしかすると30代もないかもしれない、どこに着地するかわからないパラシュートのような旅をしている、ある日突然にして、マフラーをねじって首にかけ白毛まじりのヒゲをはやし横に和服の女性をつれて現れるかもしれない、そしたら私はどうしたらいいんだろう。

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第14号

今日はいい女優とはどんなもんか書きたいと思う。
この連載の初めにも書いたが私の演劇理論はシンプルにして奥深い。ズバリ「演劇は人生だ」である。演劇とは日常生活の再生でありそこに登場する人物の心理を理解するには、役者自身が様々な人生経験をもってなくてはならない。いい役者とはよき人間であるべきで、私のこのダメ出しが各役者の性格面へのダメ出しなのはその為で、これは教育の、家庭の躾の問題であり、できることなら私は各役者の親を呼びつけて三者面談をしたいぐらいだ。
よっていい女優とはいい女性のことであり、いい女とは自分の家の法事の手伝いをさせたくなるような女のことである。
私の故郷「ごまの谷」は滋賀県にある。ここは法事の多い処で、坊主がポクポクやっては腐らせた魚と赤いコンニャクで宴がひらかれる。男にとって何が愉しいってこーゆう時にだらしなく酒を飲みながら、忙しく立ち働く女の人をながめるのほど愉しいことはない。親戚のオバさんが、いとこの妻さんが着物の袖をたくしあげて膳のあげさげするのをこっちは赤いコンニャクをクチャクチャさせて見ている。これは極楽です。子供の頃からそんな風景をみて、「あぁ僕もいつかお嫁さんをもらうならこーゆー時にチャキチャキ働いてくれる人をもらおう」と滋賀の男なら誰でも思うはずです。ね、若林さん。逆にこんな時にグズグズしてたり「お義姉さん!お茶っぱどこー!!」などと大声を出す女を嫁にもらうと、こっちが恥ずかしい、男が下るってなもんだ。ね、板橋さん。
というわけでいい女優の話だが、範囲をウチの劇団に絞って考えてみる。
ダメだね。
どれも男の気持ちをわかってない。
まだまだ俺ン家の法事を手伝わすわけにはいかないね。残念だけど。
昔の軍隊で捕虜が暴れたらその食事から塩をちょっとづつ抜いていったらしいけど、それと同じようなことをウチの女優にもやらなきゃいけないと思う。元気ならいいのかと私は言いたい。三杯酢のつくり方知ってるか?とついでに聞いときたい。
そして何より私が言いたいのは、いやこれはウチの劇団の男連中がみんな言ってることだが、「俺達を無視するな」ということだ。
そりゃ俺ら魚みたいな顔してるけど、心もあるんだから。今まで女の友達なんてまったくいなかったから、女といえば母親タイプかホステスさんタイプしか想定できなくて、君らからすれば会話もできないと思うかもしれない、でも俺らは男なんだから、戦争ありゃ死にますから、すこしは立てて下さい。
無視は嫌われるよりつらいです。

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第15号

自爆とか自滅とかいう言葉が似合う女がいる。わりとよくいる。どういう女かその条件をあげると
1)心臓の鼓動が早い
2)自分の想像に恐怖し、戦う
3)段取りを重視する
4)周りの男がいい加減
これだけの条件がそろえばほっといても女は自滅する。
誰のことを言っていると思う。そう、君のことだよ、ゆであずき。
これまでこの連載でゆであずきはあまり取り上げたくなかった。何故かと言うと、この「ゆであずき」という芸名があまりに大味で私は嫌いなんだ、書きたくないんだ。泉鏡花が豆腐の「腐」の字が嫌いで「豆府」と書いていたように、繊細な私にこの芸名は書けません。ですからここでは便宜上「アレ」と呼びたい。平に御容赦下さい。悪いのは「アレ」です。
「アレ」は先にあげた自滅する女の条件をすべてかねそなえている。
例えば「アレ」の鼓動はウチの新人のよこえとも子と並べておそらく5倍は早いだろうし、「アレ」は失敗した時のことばっかり考えて、何度も同じ段取りをくり返す。そして周りの男といえば男女平等時代の申し子のような男ばかりで、女を弱い存在だなんて思ったこともない、守ってあげなきゃなんてこれっぽっちも思わない男ばかりだ。
「アレ」と話していると大塚のカレーのCMを思い出す、あのともさかりえが出てるインスタントの3分でできるってカレーのCMね、何てことないカレーのパックのなかで多数のシェフが忙しく働いているってCMね、思い出しました?「アレ」が黙っているとき、「アレ」の頭のなかでは無数の小型の「アレ」がめちゃくちゃ喋ってる、時にその議論の声が外まで漏れてくることもある。そして衆議が決した時に「アレ」 の本体は必要以上にうなづく
「うんうんうん」
「アレ」の「うん」3回は普通の人の「うん」1回分の価値しかない。
ここまで典型的な自滅の女でありながら、今まで「アレ」がちゃんと社会的につつがなく暮らせているのは何故か?人間とはよくできたもので「アレ」は「自滅する女」でありながら同時に「大味な女」でもあるのだ。
だって「ゆであずき」ですぜ、何て大味なセンスだ。それからハリウッド映画ばっかりみてるらしい、ロビン・ウィリアムとかデ・ニーロとかが好きなんだって、それで「アレ」自身も外人さんと結婚したいんだって。
しょーもない。

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第16号

あれはいつだったか、たぶん6月公演の時、アートコンプレックスの楽屋でのことだった。よこえとも子の弁当の食べ方が、話題になった、というか問題になった。いなり寿司を分解して食べるんだ、しかも得意気に、もういやになったね、「これがおいしいんですよー」と揚げだけ食べているのを見て育ちの良い俺としては右翼になりかけた、その後「私にぎり寿司も分解しますよー」とやつがぬかすのを聞き、もう右翼になった。だからこの文章はあの街宣社の中で書いてます、「日教組撲滅」とか「憂国」とかの横断幕の片隅に「寿司はそのまま食え」とか「しゃべりながら食うな」とか書かれていたら、それは私です、私が乗っています、怖がらないでください。
俺を右翼にした女、それがよこえとも子だ。夜眠りながらあめを舐める、それがよこえとも子だ。和服を来てお酌してたら、それは高島礼子だ。やつはそんなことしない。
よこえとも子、19歳。ってことは1982年生まれ、劇団最年少記録の持ち主、長身である、さらに手足が長い、スラリとしている。あんこ型体形のひしめくうちの劇団において唯一のすらっとした女優だ。いやな女だ。ランニングのときでも、よこえが入ってくるまでは、俺とこず恵ちゃんとじゅん坊と西は仲良く転がっていたんだ、その風景は船岡山の団子落としといって近所でも有名だった。でもよこえが入ってきて細いジーンズをはいているからメンバーの一人が恥ずかしがって団子落としも止めてしまった、京都の風物詩がまたひとつ消えてしまったと、くやしがることしきりである。別によこえが悪いわけじゃない、俺だってすらっとした女は嫌いじゃない、恐いけど、でもよこえがすらっとしてるのは嫌いだ、だって無駄だもん、あんなに身長いらないだろう、つくづくそう思う。そうだ、マクドナルドが悪いんだ、マクドナルドが日本人の体形を変えてしまった、マクドナルド自身がそういってた、もうマクドナルドへはいかない、これは劇団としての規則だ、誓いだ、われわれニットキャップシアターは古き良き日本人体形を守る、俺は藤山直美を目指す、あんこ型万歳だ。よこえもできるだけ丸くなってほしい、正月はもちを食い、どてらを来て多賀大社にでもおまいりして、甘酒でも飲んで、丸く丸くなってほしい。

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第17号

俺は反省しない男だ。失敗しても認めないし、あるいは仕方がないと流してしまう。そんな風に育てられた男だ。試みに以前反省に似たようなことをしたのはいつのことだったか思い出してみると、5年ほど前、当時同棲していた女が大事に飼っていた文鳥を女が仕事に出た後、たばこのケースに詰めて遊んでいると、誤って落としてしまい、死なしてしまった時、あれは辛かった。女が泣きながら俺のことを無能者呼ばわりし、俺は黙ってつげ義春を読んでいた。でもそれにしたって、「じゃお前は焼鳥は食べないのか、食べるくせにあの文鳥だけを特別扱いするのは欺瞞じゃないか」と問い詰め、あげくに「文鳥に嫉妬してたんだ、俺だけ見てくれ」といって「ごめん」の一言を添えれば、「浩ちゃん・・・」といって俺の肩に崩れてきやがった。俺の勝ちだ。
俺は反省しない。そんなヒマあるか。だからこの連載でも自分で自分にダメをだすことはない、そう思ってた。でも先日とんでもなく恥ずかしいことをしてしまったので、ミソギのつもりでここに書く、それが済んだら向こう5年はまた振り返らずに進むつもりだ。
この前ラジヲドラマにでた、Kiss−FMで放送されている「ストーリィフォアツゥ」という番組で以前台本を書かせてもらったことがある、その縁で今度は役者として出させてもらうことになった。はじめてマイクの前に立つわけで、スタジオいりの一時間前から近くのモスバーガーで台本を読み、ラジオだからしなくていいのにセリフを覚えうごきまで考えていた。そして、スタジオに入る。僕がカチコチになっているのをみなさんひと目できずいたんだろう、コーヒーやお菓子を勧めてくれた。そのお菓子を食べながら、自分の番が来るのを待っていると、共演させていただく腹筋善之介さんが話しかけてきてくれた。
ここでもしかして腹筋さんを知らないという人に説明しておこう。腹筋さんは昔といっても2年ほど前まで「惑星ピスタチオ」という劇団の座長をしていた人で、いまはCMやドラマにでまくっている人である。僕が学生劇団にいたころはこの「ピスタチオ」や「キャラメルボックス」「ショーマ」といった劇団が花盛りで、特に「ピスタチオ」の『小林少年とピストル』という作品は毎年どこかの学生劇団が上演していた。ようするにアイドル的存在なのである。その腹筋善之介さんが話しかけてきてくれた。
当然緊張しますわな、あわや、逆効果になりかけるかと思いきや(アホみたいな文章でごめん)、そこは元座長、僕のことをいろいろ訊ねてくれて、こっちの緊張をほぐしてくれる。ありがたかったっす。「どんなお芝居やってんの」とか「座長も兼ねてると大変だね」とかツボをついたことを聴いてきてくれる、・・・それで調子にのっちゃったんです。
「ピスタチオ」といえばパワーマイムである。とにかくすごい。動いて動いて動きまくる、ひと公演で6キロ痩せた役者がいるそうだ。もちろん腹筋さんも肉体派で筋骨隆々はもちろん、稽古前にはヨガの火の呼吸で全身に酸素をいきわたらせ、それでも本番中に肛門の筋肉をつってしまうほど激しい人なのだ。そんな人に向かって私は、あろうことか肉体訓練の大事さを語ってしまったのである。しかも得意げに、ちょっと偉そうに、横腹でてるくせに・・・
今思うとほんとに恥ずかしいです。腹筋さんは僕が「やっぱり体が資本ですからねー」と得意げに語るのを「うん、うんうん」と黙って聞いてくれました。内心なにを言うとんねんと思ったことでしょう、ゆるしてください。なぜあんなことしゃべったのか、しかもちょっと大声で、それは若気のいたりということで勘弁してください。

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第18号

この連載も結構長い。確か去年の5月ごろから始めたんじゃないだろうか、たいしたもんだ。書くたびに心が痛いのも事実だ。だってよそ様の大事な息子、娘さんだもん、親が見てたらどうしよう、俺だってそう思った。でも書かずにはいられなかった。そんな強い怒りが俺にはあった。それからこの連載が一定の力を持ち始めていることも事実だ。誰に邪魔されることなくお気楽に生きてきた役者たちである、楽器も弾けず一芸もなくそれでも自己表現がしたいと考える役者たちである。隠しきれなく自己愛、自己陶酔のにおいがプンプンする。そこに冷や水をぶっかけてやる、膨らんだナルシズムの風船をしぼましてやるのだ。私というさらに大きな自己愛と自己陶酔のかたまりによってそれをなす。この連載で私はオチを人に譲らない、たとえ誰にダメを出そうが一番最後には私「ごまのはえ」が一番印象に残るように心がけている、それはお芝居も一緒だ、美味しいとこは人に譲らない、その根性、その精神のいびつさが、まわりをしらけさせる。
のっけからウダウダ書いたけどようするに正月に実家に帰ってホームページでこの連載を読み直し、あまりのひどさに愕然としたってこと、何がどうひどいか?それは先に書いたこと、つまりオチを人に譲らないこのいびつな精神、俺が書きたかったのはこんな文章なんだろうか?文章修行のやり直しを考えている。
さてこの時期、正月もあけて一月の中ほどになると、私のおびえ、怒りはある一点に絞られる。「人形のマスムラ」 のCMである。
まず正座もまともにできないガキが4人ほど座ってる。紋付はかま、ひとりは振袖である。そして髪を七三にわけたガキが「ぼくが3代目マスムラの社長やで、ええな」とカメラに向かってがなると「うん」とのこりの2人の男の子がかしこまる。そしたら振袖をきたガキが3代目社長の右後ろから酒でも注ぐかの勢いで「トモアキ君がんばってね」と言う。そのあとガキそっくりの顔をしたおっちゃんが「人形のマスムラ」と3回連呼する。「連呼」ですぜ、「連呼」。
正月がおわってこの時期になるとこのCMがはじまる。かなり古くからやってるから知ってる人もいるだろう。私のおびえはテレビのリモコンが潰れているのでいつこのCMを見てしまうかわからないこと、私の怒りはこのCMそのもの、メディアとしての公共性、CMとしての効果、それ以前に情報としての価値、「人形のマスムラ」にはいろいろ考えてもらわねば、これを見ただけでその日は私のブルーデイである。
以上今回のダメ出しは「人形のマスムラ」でした。

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第19号

家にはなにかある。
例えば私の家(普通のアパートです)では扉という扉のすべてがいかれている。玄関は立て付けが悪く手放しに閉めるとアパート中に響く音を立てるし、部屋の引き戸は重く昔あった『フリーウィリー』とかいう映画にでていたシャチの鳴き声のような音を立てる。ベランダの戸も同じく「ウィーウィー」と鳴く、2匹のシャチがいるわけだ、押入れの戸は閉まらない、引っ越してきて荷物を入れてから閉まらない、だからどんな鳴き声を出すかも知らない。押入れが閉まらないのは私の性格のせいだが、よく考えてみるとその他の家の欠点もどこかで私の性格に結びついているのかも知れない、たまにそう思う。ベランダの戸にしても気持ちよくガラガラと開いてその向こうに抜けるような青空が見えたなら、それは私の生活ではない、重く不愉快に「ウィー」と開いてその向こうに怪獣でも現れそうな曇り空が現れてこそ私の生活だ。べつに生まれ育った家でもないし、ほんの腰掛けていどの住まいだがこの家は私の家だな、残念ながら。
演出をしていて色んなスタッフさんの家にお邪魔する。映像の堀川の部屋はでっかくパソコン関係の機材が狭い部屋を占領している。不必要なほどでかいテレビがある。その他はわけのわからん調味料とロリマンガがあるだけ。音響の三橋の部屋はほとんどコックピットのようで、あとは布団のみ、いさぎよいといえばこれ以上ない部屋だ。わからないのは制作の板橋さんの部屋、いまはどうか知らないが昔は乳母車があった、ナワがあった、首輪があった、恐ろしくてこれ以上は書けないがとにかくあった。きっと必要だったんだろう、いや必要でなくともそれが板橋さんの生活だったんだろう、乳母車があるのがあのひとの生活なんだ。おそろしい。私の作家としての悩みは板橋薔薇之介の面白さの半分も舞台に出せていないことだ、あのひとほど私生活がおもしろいひとはいない、ライク・ア・ローリングストーンとはまさにあのひとの私生活だ、巻き込まれない距離を保ってみていたい。話がそれた。今日は作曲をやってもらっている横田悠馬君について書くつもりだった。
悠馬君は三輪車というバンドをやっている。おととしの『そばの花』ではそのバンドごと一緒にやってもらった。あと『サルマタンX』のテーマ曲も作ってくれた。悠馬君にはこの前の『クモノヒモ』をほとんど全曲てがけてもらったし、まぁ数えていけばきりがないほど一緒にやっている。お世話になりっぱなしの彼にダメ出すのもなんだが、ひとつだけ、どうしても言いたい、すぐ済むから言わしてくれ、言います。
悠馬君へ
君の家のトイレは流れない、なんとかしてくれ。
以上、終わります。

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第20号

演劇人はよく悩んで髪を染める。髪を染めようか悩んで染めるという意味ではなく、ただ悩んで髪を染めるのである。インドに行くのと一緒である。悩んでインドに行く。インドに行くかどうかは悩まない、ただ悩みがあってインドに行く。インドをなんだと思ってるんだろう?
なにを悩むのか?
演劇とは青臭いものだ。いくら大人を気取って、それっぽいお芝居をやってみても「人前でなんかやりたい」というその性根が青臭い、ガキ臭い、演劇をやる人間なんて、とくに学生劇団上がりの人間なんて不良にもなれず、就職もせず、楽器もひけずの人間ばかりだ。つまりおとなしくて騙されやすいヤツが多い。そんなヤツが悩む、そして髪を染める、そこには青春の図式が隠されている。
演出家としての私のすごいところは決して役者をほめないところだ。いままでほめたことはない、常に面白くなさそうに見ている、しかも励ましもしない、「それでいいとおもうんやったら、それでいいよ別に、・・・できひんのやったら台本書き直すし」というのが、私の演出における基本姿勢である。稽古が佳境に入りだす本番2週間前、盛り上がる役者のテンションをかき消すように、私はこのスタンスを貫く、ありがとう、そんな人間です私は。さて、そんな稽古場だからまともな役者は悩み始めるんですね、もちろんこんな劇団にいていいのかとも悩むんだろうけど、もっと根源的に「俺って何?」と悩み始める。詳しく書くとなんの根拠があって人前に出るのか、わからなくなっちゃう、美人でもないしとんでもなくブサイクでもないし、何かできるわけでもないし、舞台上で乳出すわけでもないし、私、どうしたらいいの、っていうか私ってなによ?こんなふうに悩むわけです。先にも書いたとおりまじめでおとなしい人ばかりです、悩みだすと切り上げるということを知らない人たちです。「私は中学のころ女で初めて生徒会長もやった。高校のころはバレー部で背は低いけどセッターでレギュラーやった。でも今の私はなに?・・・こんなもんちゃう私はこんなもんちゃう」再び詳しく言うとこんな感じです、決してモデルがいるわけではありませんよ、この文章は、あくまで演劇人にはこんな人が多いという一般論です。これって青春の悩みと一緒だと思う。皆さんも悩んだことあるでしょう、自分にはどんな服がにあうのかって、アメ村あたりに友達とくりだしたりしませんでしたか?ぼくはしましたウグイス色のネルシャツとボブソンのジーンズ、極太のベルトを買いました、C・W・ニコルになりました。自分にはどんな服がにあうのか、それは青春の悩みです。でも悩める演劇人はとうに二十歳を超えているので、悩むにしても体力がありません、それでとりあえず思うのでしょう、「髪を染めよう」と。
急なイメチェン、しかも一部分だけのイメチェン。
あぁ、本番がちかいんだなーと思います。

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第21号

コンチ、ごまのはえです。
裏ダメ出しさせてもらいます。
まずは浜崎あゆみ。たしかクリスマス特番のダウンタウンの番組だったと思うが、あゆ、君は出ていたね、なんかあゆの部屋みたいなセットでソファーに座って、スタジオにはあゆファンの女の子たちがいっぱいいて君はいつものだるいトークを繰り広げていた、その時だダウンタウンの浜ちゃんがスタジオに詰め掛けたファンの女の子のほとんどが豹柄のファッションをしているのを受けて、君にこう聞いた、「なにがきっかけで豹柄をきはじめたのか?」と、そしたら君はこういった、「あゆ豹柄なんかきてなーい」と、ウソをつけ、着まくってたじゃないか、それよりファンの女の子はどうなるんだ、クリスマスに豹柄を着て君を見に来た女の子は、あまりに情けないじゃないか、まぁ、どうでもいいけど。
それから市営地下鉄。君にも言わなきゃいけないことがある。ホームのイス、あれ、どうして3人がけなの、始めに一人はしに座って、それから一人もう片方のはしに座って、それからもう一人真ん中に・・・座れないじゃないか、恥ずかしいじゃないか、狭いんだよ、間隔が、駅のホームでそこまで他人と密着する気はない、でも座りたい、なんとかしてくれ、ご一考おねがいします。

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第22号

このあいだ生まれて初めて尾行をしてしまった。
郵便局にいこうと外に出たらバスから十字架を背負った女の人がおりてきた。これにはおどろいた、僕の前のわずか5メートルほどにとまったバスから120センチはあろうかという十字架を背負って、どっこいしょとつまらなそうに降りてきたのだ。断っておくがここでいう十字架とはもちろん物理的な十字架のことである、精神的なそれではない、運命がどうしたとか宿命がなんだとか、そういうことではない、事実はただ女が十字架を背負ってバスから降りてきた、この一文にすぎない。
当然、尾行しました。そりゃするでしょう、繰り返しになるが「女が十字架背負ってバスから降りてきた」んだぜ、「クジラが海岸でいっぱい死んでた」って大騒ぎするし、「アヒルのくちばしに針金がひっかかってた」ってテレビはくるわな、「鴨に矢が刺さってた」って昔大騒ぎしてたじゃないか、「女が十字架を背負ってた」これは大騒ぎすべきだ。よく平気でバスに乗れたな、周りの人々はなんだと思ったんだろう、スノボー抱えた兄ちゃんとはわけが違うんだからもっと騒げよ、っていうかどこから乗ってきたんだろう、四条とかからだったらすごいな、深泥池からでも面白いな、またひとつよく分からん伝説がふえる。
ここにその女の風体を書きとめておこう、身長は150ぐらい体重はよく分からんがまあほどほど、クロのコートをきていた、といっても難破船を歌ってた頃の中森明菜のように十字架を背負ってたわけじゃない、つまらなそうに、いや重たそうにかな、とにかく日常そのまま、ちょっと大きめのしろねぎがカバンにはいらなくて、ごめんあそばせ、ちょっと肩にかけますわって感じで、いやー俺ってほんと表現力ないな、ごめんなさい。
実際に尾行をしてみてわかったのは、電信柱の影に隠れたりはしないこと、後ろを歩く、ただそれだけの行為でした。でも顔が難しかった、たとえて言うならビデオ屋の店員が女の子かどうか何気に確かめるときのようだった、よし、こんどの表現はまぁまぁかな。そのまましばらく後ろを歩いたんだけどどうしても顔がみたくなって先回りしようと別の道を行ったら見失ってしまった。情けない。もしかしたら役者って一番尾行には向いてない人種かも。
北区玄琢の日常のひとこまでした。

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第23号

本番だよーん、こんなの書いてる暇はないはずなのになんでか今回は余裕がある。時刻は真昼の1時、まともな大人が家にいる時間じゃない、おまけにちあきなおみを聞いてる。大丈夫か俺の未来。本番を迎えるためには仕込みがある、ホールに入って舞台装置をたてたり照明を吊ったりすることだ。これが結構大変、なんやかんやと丸2日はかかる、もちろんその間ずっとホールにこもりっきり、性格的にはこれが一番つらい、近所のスーパーとか古本屋に行きたくて仕方ない、でも行かない、わたしは演出家であり作家であり劇団の代表でもあるからだ。じっと我慢してすみのほうにいよう、楽屋の冷蔵庫をかたずけたり、みんなの自転車を並べたりしよう、たまに受付を手伝いに来てくれた女の子としゃべろう、「最近どうなん?」とかわけのわからんことをきこう、そのうち退出時間になるだろう。仕込みは辛い。
仕込みは辛い。仕込みは大変だ。引越しのバイトとイベント設営のバイトをたしたような辛さがある。よって仕込みにはそれなりの準備がいる。各人その準備をしていざホール入りになるわけだ。たとえば200石の知行をあてがわれている者なら騎馬5騎、足軽15人で参加するのが常識である。ひとつうえの物頭クラスともなるとさらに負担は重く一族郎党総動員してその役割をになう。ひどい例では大坂冬の陣のおり奥州南部家では軍勢がそろわず、当時エゾと呼ばれていたアイヌの人たちを半ば誘拐するようにしてかけつけたそうだ。戦国最後の大戦ならではのエピソードだと、しみじみ感じるものがある。
仕込みは食事もたいへんだ。アートコンプレックスでの公演のときは昼はカツクラ、夜は三島亭、打ち上げは瓢亭で泊まりは二条城と相場は決まっていたが、今回はゲッケンである。まさか隣の民家でご馳走になるわけにはいかない、しかも繰り返しになるが仕込みは遊びじゃない、戦場といってもいいだろう、自然その食事も制限されてくる。一番ポピュラーなのが干飯である。これは普通に炊いた白米を一度水洗いし、粘り気をとって自然乾燥させたものだ。これを腰袋にさげキャタツを押さえながらポリポリたべるわけだ。時間があれば器にいれもう一度湯を注げばいい、インスタントご飯の出来上がりである。それから炒り米、これは玄米をナベで炒ってそのままふくろに入れておく、そしてポリポリ、照明さんは休憩になると1000キロのライトでもう一度炒りなおしみんなで食べている。とても年寄りくさい風景だ。それから味噌、陣立て味噌と「芋がら縄」という味噌がある。わたしも暇じゃないのでここにかくことは遠慮しよう、くわしくは大和田鉄男著「戦国合戦辞典」をよまれたし。

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