Nature in Blood2
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  それはとても悲しい声だった。
静かな波の音が聞こえる海辺の丘に建つ一件の瀟洒な屋敷。
声はいつも夕方の決まった時間にその屋敷からきこえてくるのだ。
「たすけて・・・」と。
  「・・・って話。どう、気味悪いだろ?」
G.A.N.P.第36分署では、そんな噂話で持ち切りであった。
あれは波の音が共振しているだけとか、そこに住んでいた人の亡霊だとか諸説が飛び交っている。
署内は人間、AHが入り交じった、それでいて和気あいあいの雰囲気を漂わせている。
すると突然、凛とした怒鳴り声が響き渡る。
「はん、馬鹿馬鹿しい。寝言は寝てから言うモノだ。さ、仕事だ仕事!」
署長だった。
署長の一喝で噂話は断ち切られてしまった。
身長180cm位のちょっぴりお腹が目立ちつつある体型を奮わせて、慌ただしく署内をうろついている。
まるで檻の中の熊である。いや、体型からすると痩せ気味のたぬきの置物だろうか。
一同は残念そうに持ち場に戻り、各々の仕事を始めた。


  「でもさ・・・本当にただの作り話なのかな?」
皆が散ったオフィスの片隅でまだ一人だけ頬杖をついて考え込んでいる隊員がいた。
タイプC(Cat)のまだ若いこの隊員は、3月ほど前にこの36分署(南太平洋支部管轄下)へ転属になってやってきたばかりだが、その抜群の身の軽さと鋭いカンでなかなかの働きを見せている。だがネコの特性かちょっとしたサボリ癖あってなかなかの問題児ではある。
「カイ、お前もさっさと仕事に戻ったらどうだ?」
署長が呆れたように声をかけると、
「だって別に出動しなきゃいけないような事件も報告されてないし・・・」
欠伸とともにのんびり返事が返ってきて、流石のたぬき親父(署長)は怒鳴らずにいられなかった。
「だったらパトロールでもトレーニングでもなんでもいいから動け!」
ついでに椅子をひと蹴り。
勢いよく床に倒れるところを、さっと飛びのいて身軽に数メートル離れた床に着地すると、もう一度のんびりと欠伸をしてから後ろ手に署長に手を振り、
「へーい。んじゃパトロールに出てきまーす」
やっとカイ・・・カイ・リーズはドアに向かった。
  ばたん。
ドアが閉まると同時に署長はため息一つ。
「これだから猫科は・・・」自分で蹴り倒した椅子を元に戻しながら、ぶつぶつと何かを呟いた。
 オフィスを見回し、平静を取り戻したのを確認して自分の席に収まった。
 また、ため息一つついた後、思い出したようにインターホーンにこう告げた。
 「シンディー、お茶」
 しばらくすると女性が1人、署長の前に現れた。
 どうやら、オペレーターらしい彼女はブロンドのセミロングの髪をなびかせて署長に言った。
 「署長、悪い癖ですよ。女性だけにお茶を酌ませるのは不平等ですよ」
 そう言いつつも彼女はデスクの上にマグカップを置いた。たぬきの絵入りだ。
 「まぁ、そう言うなよ。24分署にいた時は黙って酌んでくれたろう」
 署長はコーヒーをすすりながら言った。
 「あのときはねぇ、”女性のお仕事はコピー取りとお茶くみだけ”ってしか教わらなかったのよ」
 シンディーはあきれ顔で吐き捨てるように言った。芝居がかっている。
 「そうだな、日本という国ではそれが通用してたからな。あそこは良い国だった」
 遠い目をしつつ、昔を懐かしむように呟いた。
 「ホント、本部へ研修に行くまで、それが当たり前だって思いこんでいたんですから」
 シンディーは署長のマグカップを奪い取り、一口コーヒーを飲んだ。
 そんなシンディーの動きに署長はうろたえた。シンディーは続けて言った。
 「ところで、署長。こんど本部へご栄転なんでしょ? 私も連れて行って」
 「情報が早いな。しかし、私が言わなくても自分で何とかするだろう」
 意味ありげな笑みを浮かべながら、シンディーをたぐり寄せた。彼女もそれを拒まなかった。
 「当たり。だって人事のシステムを管理しているのは私ですから、そんなことは簡単よ」
 シンディーも意味ありげな笑みを浮かべつつ署長に寄り添う。
 「お前も相当なワルだな。この女狐め!」署長は言う。
 「あら、私が狐なら、あなたは狸でしょ」シンディーが返す。
 「わかった、正式な辞令を本部に上申しておこう」
 署長はすぐさま本部の人事にメールを送った。
 彼女の名前はシンディー。シンディー・ロズウェル。
 コンピューターシステムのオペレーターであり、署長の愛人でもある、きつねのDNAを持つAHである。
  「いっそあのネコちゃんも連れていく?結構お気に入りみたいじゃない」
「カイをか?冗談じゃない」
「まあ私が何かしなくても、そのうち本部に引き抜かれるわよあのコ。勿体無いわ、
こんなのんびりしたところに置いてちゃ」
それを聞いて先程閉まったドアの方を見遣り、署長は少し呆れた様な笑いを浮かべた。
「それも面白いかもな。本部には犬科の奴が多いからな。おい、それよりこういう状況で
 他の男の話をするなよ」
男の手は女の腰にまわり、女はしなだれかけている状況。
「あら、妬いてる?」
「ふん、何とでも言え」

一方、出てきたものの別段することもなく、カイはどうしたものかと考えながら街中を
歩いていた。前にいたヨーロッパ支部では大層忙しく出動していたものだし、それらの
犯罪の内容も深刻なものだった。
いかにA・Hの事件が多発するこのご時世でも、36分署のあるこの南の島はかなり
平和なものである。美しい海と青い空、緑の木々・・・そんな楽園にいれば人は心穏や
かになるのかもしれない。動植物も多種多様に生息していることから、古くからこの地
に住んでいるノーマルタイプの人間達もA・Hに関しては寛容なようだ。
たまに何かあっても、近くに深海都市を抱えていることから、海洋性A・Hに関する事件
事故が多く、陸上で起きる事件といえば豊かな動植物のDNAを採取するための非合法の
科学者の絡んだ密漁くらいだ。それすらたまの事である。
「あーあ、退屈。どっかで昼寝でもしょうかな・・・」
そう独り言ちて、心地の良さそうな椰子の木陰でも探そうかとカイは思ったが、この制服
では一目でG・A・N・Pの隊員だとわかってしまう事に気がついてそれもやめた。
「とりあえずもうちょっとぶらぶらしよう」
パトロールなどとは名ばかりの殆ど徘徊状態で、市街地を抜けやがて海辺に出た。
ふと先程の「海辺の屋敷の悲しい声」の話がカイの脳裏をよぎった。
  36分署のあるこの島は、観光地でもあり、島の沖にある超古代文明の遺跡を探索する「トレジャーハンター」達のベースでもある。
ここは、港の端にある、サルベージ船の甲板の上。
「ああ、退屈だゲソ」彼は暇を持て余し、そう呟いた。
「海辺の屋敷の悲しい声」の噂は、観光客の出足にも影響した。
最初は興味本位で客の出足は、まずまずであったが日に日に客足が遠のいていった。
無論「トレジャーハンター」達の出足にも影響が出て、それらを当てにしたサルベージ船のクルー達にも閑古鳥が鳴いていた。
「まぁ、仕方ないゲソ。あんな事件があったんだからなゲソ」
”彼”はイカのAHであり、陸に上がりっぱなしで乾きそうな肌をまめに海水を被りながら、潤わせていた。
「このまま、ここに居たら暇に押しつぶされてしまうゲソ」
何かを思い立った彼は船長に一言、断りを入れて上陸した。
とりあえず、食い扶持を得るために何か仕事を探さねばと思い、船を下りたのだが観光客の少ない今では、仕事の絶対量まで減ってしまっていたのだ。
何をすることなくフェニックスの木陰で彼なりに色々と思いを巡らせた結果、一つの結論に達した。
「原因を元から絶たないと駄目だゲソ」意を決した彼は「海辺の屋敷」に足を運ぶことにした。

「ああ、もう我慢できない。寝る。すぐ寝る。」
カイは足早に”いつもの場所”に歩みを進める。
猫は自分にとって”気持ちのいい場所”を良く知っている。
風が適度に通っていて、日溜まりがあって、人目に付きにくい場所。
いわゆる「猫だまり」である。
到着すると先客が居た。多くの猫や猫型AH達がたむろっていた。
カイはその「先客達」をかき分けて「自分のポジション」に着いた。
気持ちいい。いつの間にか彼は眠りについていた。

そこには悲しげな後ろ姿をした女性がうずくまっていた。
カイは恐る恐るその女性に近づいた。
微かな声だが、何か聞こえる。
カイはまた近づく。聞こえた。
「・・・助けて」聞こえるか聞こえないかの微かな、か細い声だ。
「大丈夫ですか?」カイは声を掛けた。
彼女が振り返る。顔が・・・。

目が覚めた。
「何だ、夢だったのか」辺りを見回してみたが、風景は何一つ変わっていなかった。
ふぅっと一つため息を付いたカイは意を決した。
「行ってみるか。”海辺の屋敷”へ」
さっきまでの気怠い動きとはうって変わって、機敏な動きで「海辺の屋敷」へ向かった。
 
「海辺の屋敷」・・・そこはこの島に詳しい者なら誰もが同じ建物を思い浮かべるであろうほど、実は有名な場所だった。島で1番のロケーションを誇る「夕日の丘」にただ一件建ったアンティークな大きな館。
その一枚の絵になるような美しい外観だけでなく、その屋敷が有名な理由は他にもあった。
数ヶ月前まで屋敷には裕福な実業家夫婦が住んでいたのだが、彼等がペットに選んだものが悪かった。金にモノを言わせて彼等が求めたものは非合法のA・Hだった。A・Hと言っても、人間らしい部分はほとんど見当たらないまでに遺伝子操作された虎の獣人。だがA・Hである以上、人間の知能をもち合わせている。窮屈な檻にとじこめられ、ただの愛玩動物として見下されての生活にストレスがたまらないはずがない。
そして虎は自由を求めるために夫婦、使用人を次々と食い殺し逃走途中で警官に射殺された────。
どちらにとっても不幸だったのは、異変に気がついた使用人が通報した先がG・A・N・Pでなく警察だったことだろうか。この無残な事件を止められなかった事は今もG・A・N・Pの中では苦い思いとして蟠っているのだ。
ともあれ、平和なこの島で起きた唯一ともいえる惨殺劇の現場として、「海辺の屋敷」は有名なのだった。
そして・・・無人となった今でも、夜な夜な血みどろの住人が恨みをこめて徘徊するとか、声が聞こえるといった噂が流れ、この島の観光収益にまで影響を与えているのだった。

「ひゅぅ。でけぇ」
丘の上の屋敷を見上げて、カイはそうこぼした。
人の気配はなく、遠く聞こえる波の音以外は静まり返った大きな屋敷。もう少し近づいてみた。
以前は丹精に手入れされていたであろう前庭は雑草が生い茂り、なごりのようにブーゲンビリアの花だけがあざやかなピンク色を誇っていた。
「やっぱ少し不気味・・・かな?」
ひくひく。鼻をうごかしてみる。犬には遥かにおよばないものの少しは利く。
だがむっとする熱帯の植物の草息れと、風が運んでくる潮の香り以外は変った様子は無い。
大胆にもカイは玄関に立ってドアに手をかけた。
勿論、鍵がかかっていた。
「裏にまわってみるか」
庭をぬけ、屋敷の裏側にまわりこむことにした。今は伸び放題だが、少し刈ればさぞ美しいであろう芝生の庭はかなり広かった。
「わぁ・・・」
屋敷の裏手にまわると、そこは海を一望に見下ろす素晴らしい眺めだった。広いプールと白いテーブルの置かれたテラスに、
「ここで昼寝をしたら気持ちいいだろうなぁ・・・」
思わずカイの口からそう漏れた。
ここも変った様子はない。やはりただの噂だったか────そう思って興味を失いかけたそのとき、
「た・・・たすけて・・・」
小さな声がカイの耳にとどいた。
「!」
驚いて身構えると、ふたたび、
「だれ・・・か・・・」
確かに聞こえる!
だが待てよ。カイは少し混乱した。その声は屋敷からでなく海のほうから聞こえるのだ。
「?」
おそるおそる見下ろしてみた。
海はすぐそこのようだが、丘の上というよりそのぎりぎり突端に建っているこの屋敷はいわば断崖に面している状態。下までは結構な段差がある。
その断崖の途中・・・半ばあたりに『何か』がひっかかっていた。
「お〜い」
カイはその『何か』に声をかけた。
「生きてるか?」
すると弱々しくも返事が返ってきた。
「み・・・みず」
「ミミズ?」
「・・・ボケて・・・ないで助け・・・」
どうやら声の調子からかなり弱っている状態らしいので、カイは慌てて崖を下り始めた。急な崖も身軽な彼にとってそう困難ではないので、ほどなく助けを求めている主の元に辿りついた。
だが・・・
「なんじゃこりゃ?」
岩にひっかかっていたのは何とも形容しがたい生き物だった。
「イカ?」
「これでも一応・・・人間だ・・・ゲソ。た、頼むから水を・・・お肌が乾いて死にそう・・・ゲソ」
  イカとも人間ともつかぬその生物は、すでに組織のほとんどの水分を失っていて生きているのが不思議といった有様だった。滑稽に突き出たその口がかすかに歪み、意外と知的にみえる目と共に懸命に助けを求めている。 だが彼の体はすでに死んでいた、もはや元どうりになることはないだろう。長時間潮風と直射日光に晒されてほとんどの細胞が乾ききって死んでいた。その姿はまぎれもなく、そう海辺で洗濯物みたいに
ズラリとならんでいい按配に熟成したスルメイカそのものであった。これを細くさいてかるーくあぶった奴にマヨネーズなんぞつければ飲べぇにはたまらない。
カイは下戸ではあったがそれでもたまらない。思わず大量のよだれが口の中いっぱいにひろがった。口中の
容量を越えた分のよだれはダラダラとカイの口から自由落下し、半イカ人間の奇妙な三角形の頭に滴り落ちる。「ああ・・あ・」意外と知的に見えた目はいまや恍惚として白痴そのものに見えた。まだ感じるとは驚きだが、僅かな水分に目を細めて吐息ともつかぬ声を上げる半イカ人間を見た時カイの中で何かが音をたてて切れた。

  「にゃお〜ん」声にもならない声を上げて、脱兎のごとく崖下を駆け下りるカイであった。
虫の息とはいえ、イカのAHの彼は迫り来る「恐怖」を実感していた。
死にそうだけど、あんなのに食われて死ぬのはイヤだ。
心底そう思った。
そう思っている内に、カイが目の前にいた。
「俺は食べても美味しくないゲソ」彼は、か細い声で言う。
カイは、そんなことお構いなしにぎらついた目をし、今彼に食らいつこうとした。
「ぅにゃお〜ん」
彼は死を悟った。もうダメだ。
ぷっちん。
カイの中で何かがまた弾けた。
「彼」に食いつく一歩手前であった。目が正気に戻っていた。
カイは猫のAHである。
弾けたのは「欲望」。
猫のDNAが「イカを食うこと」をやめせた。
猫がイカを食うとどうなるかを本能が教えてくれたのだ。

「大丈夫か? 干からびてるけど。」先ほどの鬼気迫る表情ではなく、優しい表情で「彼」に問いかける。
死を覚悟し、固く目を閉ざした彼はその声を耳にし、ゆっくりと目を開ける。
そこには、照れながらも優しい表情のカイがいた。「今助けてやっからな」
「・・・ありがとう・・・ゲソ」
干からびて体中の水分が抜けたはずなのに心なしか彼の目から一滴の涙が落ちた。
  「そおれ〜!」
なんとかイカのA・Hを担ぎ上げて崖を上り、カイは思いきりよく屋敷のプールに放り込んだ。
傍から見たらなんという乱暴な事を・・・と思えそうだが、水を得た魚ならぬ水を得たイカはみるみる元気になった。心なしかひとまわり大きくなったようでさえあった。
「ああ気持ちいい!助かったゲソ」
「よかったよかった。肌艶もよくなって。それよりさ、お前なんでイカのくせに崖に引っかかってたんだよ?オレがたまたま気がついたからよかったけどさ、あのままじゃスルメになってたぞ」
「通りかかってくれて本当に感謝するゲソ。どうしてもここに上がりたかったんゲソ。浜を回ると人目につくと思って・・・でも思ったより潮風がきつくてだんだん乾いてきて・・・」
まだプールからあがろうとせず、すいすい背泳ぎで気持ち良さそうに泳ぎながらイカは答えた。
「お前も幽霊の正体でもたしかめに来たのか?」
「『も』ってことはあなたもゲそ?」
「この制服みりゃわかるだろ。G・A・N・Pだからパトロールってやつかな?」
「G・A・N・P!」
 その名前をきいて、イカはすすすーっと器用に水の中を後ずさった。
「なんで逃げる?はは〜ん、その姿だもんな。お前も非合法か。安心しろ。警察じゃないから俺達はわけも無く捕まえたりしないよ。ま、ここに上がろうとしてた理由が泥棒だったら別だけど」
「泥棒なんかじゃないゲソ!自分はこの島のために・・・」
「ために?」
「噂のせいで観光客が減って仕事があがったりなんだゲソ。だから幽霊の正体をつきとめて怖い噂が流れないようになってほしいんだゲソ」
「ほう、で一人きりで来たのか?勇気あるな、ちょっと感動した。そんなカッコなのに男だねぇ」
「ありがとうゲソ。そんなカッコは余計だけど・・・ゲソ」
「ごめん。オレ正直だから。よっしゃ、気に入った!どうせヒマだからさ、オレ協力する。一緒に幽霊の正体をつきとめようぜ」 
 
「ああそうだ。オレはカイ。カイ・リーズってんだ。猫のA・Hだよ。お前は?」
「カイさんっていうんゲソか。おいらは・・・ちゃんとした名前もあるゲソが・・・みんなからはイカリングと呼ばれてるゲソ。見ての通りイカのA・Hゲソ」
「・・・なんとも言えん呼び名だな。カラっと揚がってそうで」
「フランシスっていうのが本名でゲソが」
小さく付け加えられた『本名』はカイは聞かなかった事にしておいた。
俄かに結成されたネコとイカという珍妙な組み合わせのコンビは早速、屋敷の敷地内をくまなく見てまわる事にした。
ぐるぐる・・・何度か建物の周りを回ってみたが、外からではまったく異常は目に付かなかった。
「やはり中が怪しいゲソ」
「どっかから入れればいいんだけどな。いっそドアでも壊すか」
「勝手に入ったら怒られるゲソ」
「不法進入ってか?まあ、空家だしさ、持ち主いないわけだしいいんじゃない?」
「・・・あんた本当にG・A・N・Pの人ゲソか?」
 なかなか乱暴な発言に少し呆れながらも、イカリングはカイの側を離れなかった。
「こら、あんまりひっつくな」
「だって・・・ゲソ」
「は〜ん、やっぱり幽霊が怖いんだろう?」
「そ、そんな事ないゲソ!」
「幽霊なんかいないって。大体、今真っ昼間だし」
そうカイが言ったその時、
波と風の音に混じって何かが聞こえた。ぞっとするようなそれは、人の声のようだった。
二人は顔を見合わせた。

 ・・・け・て・・・・

もう一度聞こえた。今度はもう少しはっきり。
「カイさん〜!」
「イカっ、ひっつくなってば!」

 ────た・す・け・て──── 
 
「うひぃ〜!」
 カイとイカリング・・・いや、フランシスは竦みあがった。
 不気味にひびく声が確かに聞こえたのだ。助けを呼ぶ声が。
「聞こえたよな?」
「ゲソ」
 ちょっと考えて、カイは気をとりなおした。
「よしよし、二人も一度に聞いたんだから幽霊じゃないってことだ。どうも中から聞こえたみたいだから、やっぱ突入しよう」
「入るんでゲソか〜?」
「お前、正体を確かめに来たんだろ?」
「そうでゲソが・・・」
「ならぐだぐだ言わない!」
 半ば引きずる形でカイはフランシスを連れて正面のドアまで行った。
「うっしゃ、壊すぞ」
「は、はい!でゲソ」
 一斉にドアに体当たりをかける。カイはともかく、フランシスが当たるたび「ぴしゃん」と水の音がした。何度か二人がかりで当たってもドアはビクともしなかった。
「痛いだけゲソ・・・」
「か〜!頑丈だな〜。かといってガラス割るのも気が引けるしなぁ」
(ドア壊すのもガラス割るのも同じに思えるでゲソが・・・) 
 カイのそんな部分的な変な遠慮にちょっとばかり呆れながらも、イカ、いやフランシスは自分のスキルを思い出した。
「あ、待ってゲソ。なにか針金とかないでゲソか?」
「針金ねぇ・・・」
 カイは自分の身につけてるものでは近いものが無いと思うと、今度は庭を探り出した。アーチ型に植木を固定してある針金を発見した。
「こんなのでいいかな?」
「バッチリでゲソ。それを2本下さいゲソ」
「鍵を開けんのか?お前が?」
 フランシスはちょっと錆びかけた二本の針金をカイから受け取ると、とても器用そうには見えない吸盤のついた手で鍵穴に差しこんでごにょごにょ動かした。
 カチン。
「以外と簡単に開いたゲソ」
「おお!イカ、見かけによらずすげぇなオマエ!」
 カイは手を叩いて喜んだ。本気で称賛する眼差しだ。イカ・・・いや、フランシスはちょっと照れくさそうに身をうごうごと動かして、
「一応トレジャーハンターなんかやってるでゲソ。見かけによらずは余計でゲソが・・・」
 でもカイは気がついてしまった。
「・・・っていうかさ、そういう事出来るんなら早くやれよ」
 ともかく、ドアは開いたので、二人は再度気合を入れなおした。
「入るぜ、イカ」
「お、おうでゲソ!」
 ぎいぃい・・・
 惨劇の舞台となった館のドアが開かれた。
  「お邪魔しまーす」
 遠慮がちにだが、一応そう声を掛けてから進入するカイの後ろを、フランシスはちょっと呆れながらついて行く。住む人のいない屋敷に、しかも鍵を抉じ開けて無断で入るのに挨拶とは、この人は本当に変わってるなぁ・・・そう思いながら。
 勿論返事などあるはずがなかった。屋敷の中は静寂の世界。
 まず二人が足を踏み入れたのはだだっ広い玄関ホールだった。南国の昼下がりの太陽の光が吹き抜けの上の遠い窓からさしこんでくる以外は、灯りもなく薄暗い。だが、そのままに残された調度品も、色褪せてはいるがさぞ高価であろうカーペットにも乱れは無く、ここで何人もの人が殺された現場であることなど微塵も感じさせなかった。
「思ったより普通でゲソね」
「ここはな。さて、奥はどうなってるかな?噂じゃ奥のリビングや二階の寝室で殺されたんだってさ。も しかしたら断末魔の爪痕の残った家具とか血の染みとか残ってたり?」
 そんなカイの言葉にフランシスは震えあがって、足を止めてしまった。
「おい、何やってんだ行くぞ」
「・・・嫌でゲソねぇ・・・」
 玄関ホールの突き当たりには見事な螺旋を描く階段がある。その奥にはドアが見えた。
「二階は後で行くとして、リビングのほうに行ってみよう」
 つかつかと迷う事無く進むカイに比べて、フランシスの足取りは重かった。だが一人で置いていかれても嫌なので必死についていく。
 カイがドアを開くと、むっとするほど埃っぽい臭いがした。何年も誰も入ること無く放置されていたのは一瞬でわかった。薄いカーテンごしに西日が差し込む広いリビングは玄関ホールよりは明るかったが、家具も敷物も何も無くてガランとしていたのが余計カイには不気味に思えた。
「ふーん。よっぽど悲惨だったんだろうな。こうもすっきり片付けちまうなんてさ」
「でも跡形も無くてよかったでゲソ」
「そうでも無いぜ。壁とか床をよく見てみな」
 言われてフランシスは部屋のあちこちを見渡し、カイの言った意味が理解出来た。
 ふき取られてこれでも薄くなったのだろうが、壁に残る手の跡、床に残る黒ずんだ染み・・・それも少ない数ではない。
「・・・血はなかなか消えないからな」
「うひぃ〜!」
 竦みあがるフランシスの横でカイがひくひくと鼻を動かして、
「ま、ここには誰も何年も入ってないみたいだ。気配が無い。他さがしてみようぜ」
   さっさと移動して次の部屋を探しにかかるカイに遅れないようについて行きながら、フランシスは内心、もう嫌だな・・・やっぱり来なけりゃよかったなと後悔していた。
 幸い(?)なことに、他の部屋にも異常は無く一階では声の主をみつける事は出来なかった。
「次は二階だな」
「・・・さっき二階の寝室でも人が殺されたって言ったゲソね?」
「ああ、噂じゃあね。リビングもその通りだったからただの噂だけじゃなかったって事だ。二階もきっと血の海だったんだぜ〜」
 いちいちびくびくするフランシスの反応が面白いのか。カイはわかっていて意地悪に言ってみた。
「ああ、イヤでゲソねぇ・・・」
 ブツブツいいながらもカイの後に続いて階段を上がろうとした時・・・

  誰か・・・いるの?

 声が聞こえ、二人は足を止めた。
「カイさんっ!」
「しっ!静かにしろ」

 ここよ・・・私はここにいるわ

 女の声のようだった。カイは耳を澄まして懸命に声のする方向をさだめようとしたが、小さいけれど屋敷中に響くような不思議な声は何処から聞こえて来るのか絞りきれなかった。
「何処にいる!?」
 思いきってカイが叫んだ。

 ぴしゃん。

 答えは無かったが、微かに水の音が聞こえた気がした。
「水?」
「水の音って事は二階じゃないと思うんでゲソが・・・ちょっとひらめいた事があるゲソ。自分の推理が正しければでゲソが・・・」
「推理?」
 フランシスは上りかけた階段を駆け下りた。わざと足音をたてるかのように段を踏み鳴らして。
 するとまたしても声が聞こえた。

 いるのね?誰?

「やっぱりでゲソ!カイさん、こっちでゲソ」
   フランシスの呼ぶ声にカイも慌てて駆けおりた。そこでカイも気がついた。
 そう荒っぽく歩いているわけでも無いのに、足音が妙に響く。
「ははーん。なるほどね。地下があるっていうことか」
「カイさんもわかったでゲソか。おそらく普通の地下室じゃなくて海に通じてるでゲソ」
「位置的にみても無理はないな。で、そこに誰か閉じ込められてるんだ、きっと」
「このドアがとってもあやしいでゲソ」
 吸盤のある手が指し示したのは階段の下のスペースにあるドアだった。普通は物置にでもなってそうな場所だが、確かに物置の入り口にしては不釣合いなほど大きな錠があって、厳重に鍵がかけられているようだった。
「イカ、お前ホント見た目はともかく賢いな」
 なでなで、とカイはしっとりしたフランシスの頭を撫でた。決して馬鹿にしての行動でなく、本気で感心しているようではあるので、名前の訂正と『見た目はともかく』の一言をフランシスは諦めた。
「で、また鍵を開けなきゃいけないんだけど・・・それもお任せだったな。気に入ったねぇ。
 お前みたいな優秀なA・HがG・A・N・Pに入ってくれたらなぁ」
「このナリだから無理でゲソよ」
「そんな事ない。すごく歓迎されるぞきっと」
「・・・・」
 なにも答えなかったが、フランシスはご機嫌だった。内心カイの言葉がとても嬉しかったらしい。今までこの見た目でどれだけ辛くてソンな思いばかりしてきたろうか。生れて来たことをすら神に呪ったくらいだ。そんな自分を歓迎してくれるなんて言葉を聞いたのはじめてだ。
「決してオレは冗談で言ってるんじゃないからな」
「・・・ありがとうゲソ」
 そんな会話をしながらも、しっかりイカ人間の手は動いていた。入り口を開ける時に使った針金がもう一回役にたっている。今度はなかなか開かなかったが、カイもなにも言わずじっと見守っていた。
 数分後・・・
 カチャ。
「開いたでゲソ!」
「でかした。ホント、後で考えとけよさっきの話」
「へへへ・・・」
   二人は思いきってドアを開けた。その瞬間・・・
「うわお!」
 カイが仰け反った。
 小さな黒い影が一斉に飛び出してきたのだ。その数は半端ではなかった。
「うひ〜!出たでゲソ〜!!」
 フランシスがカイの影に隠れて小さくなる。
 黒い一陣は屋敷中をすごい勢いで飛び交った。
「大丈夫だ、コウモリだ。あっちも驚いてんだよ」
「でも!でもっ!」
「ったく・・・」
 少しコウモリが飛び出してくるのが落ちついたので、カイはドアの向こうに入ろうとしたが、1歩踏み出しかけてまたも仰け反るハメになってしまった。
「おわっ!」
「こ、今度は何でゲソ!?」
「あ・・・あぶね〜。落ちるとこだった・・・」
 そっと覗き込む二人を青い光が包んだ。
 ドアの向こうは遥か下まで続く大きな穴だったのだ。青い光はその穴から上がってきていた。
「まさかじかに下まで続いてたとは・・・」
「結構広そうでゲソ」
 下は岩がむき出しの洞窟だった。なるほどこれなら上の階段を歩けばよく音が響くだろう。よく見ると岩の一部に小さな穴が開いていて、そこから外の光がさしこんで、遥か下の水面を一部だが照らしているのだ。その反射の光が青い光の正体だった。
「で、降りる?・・・むちゃくちゃ高さあるけど」
「階段とかないんでゲソかね?」
「無いようだが・・・」
  ぴしゃん。
 また下から水の音がした。
「誰かいるぜ。やっぱり」
「でも降りられないでゲソよ」
 しばらく考えて、カイは思いきり身を乗り出して下に声をかけた。
「お〜い!いるんだろ?なあ、下って結構水深ある?」
 いきなり何を訊くんだ?とフランシスが訝った時、
《かなり深いわ》
 女の声が返ってきたので、可哀相なイカ人間はさらに驚いた。
「OK。今から素敵な王子様がそっちに行くから」
《助けに来てくれたの?ああ、何年ぶりかしら!》
 地下洞窟に反響してか、女の声は不思議に広がった。
「幽霊じゃなくて生きた女の子みたいだぜ。可哀相に何年も閉じ込められてたんだ。助けに行かなきゃ
 男がすたるよな」
「ま、まあそうでゲソが・・・降りる方法を思いついたでゲソか?」
「うん。下深いんだってさ」
 にこっ、とカイが無邪気に笑った。
「カイさん?」
 フランシスが何か言う前に、カイはとん、とフランシスをつき飛ばした。
「ええ〜!?」
 憐れイカ人間が宙に舞い、その後ぼちゃんという着水音が聞こえるまで何秒かかかった。
「おお、思ったより高かったな・・・」
 しばらく勢いで沈んだフランシスは浮いてこなかった。
「イカリング〜!生きてる?」
 さすがに心配になってカイが声をかけると、ぶはっ!という音と共にフランシスが浮かび上がった。
「な、何するんでゲソかっ!」
「だってお前イカなんだもん。海は得意中の得意だろうが」
「飛びこみは苦手でゲソっ!」
「いいじゃん無事降りられたんだし」
「・・・・」
 なんだかもう怒る気力も失せて、フランシスが水に心地よさを感じはじめたとき・・・
 すぅっ。
 何かが彼の側に泳ぎ寄ってきた。     
   暗い洞窟の中、その水中は見えなかったが、周囲に立つ水の流れでフランシスにはわかった。段々それは近づいて、彼の周りを何度か回っていた。自分も水棲A・Hなのだから潜れば姿は見えたろうが、恐ろしさが先にたって、水から顔を出したまま竦みあがっていた。すぐに姿を見せず、音も無く回っているのが、フランシスには一層不気味に思えた。
「カ、カイさん・・・」
 上を見上げる事も出来ないフランシスだったが、意外とカイの声は近くで聞こえた。
「おう、ちょっと待ってろ。すぐ行くから」
 カイは見つけた縄梯子でするすると降りてくる最中だった。 
「そんなものがちゃんとあるんじゃないでゲソかっ!じゃあ突き飛ばさなくったって!」
「ゴメンゴメン。よく見たらついてた」
 縄梯子のちょっと高めの位置から岩に飛び降りたカイにはまったく悪びれた様子がない。
「そ・・・そんなことよりゲソ・・・」
 フランシスが何か言いかけた途端、
  ごぼっ!
 彼は水中に沈んだ。
「え?おい?イカ!?」