チャリドリ最速理論


 ここは、群馬県立T高等学校。県下に名高い進学校である。学生服姿も凛々しく文武両道に励む彼等だが、いかんせん十代のうら若き男子なのには変わりない。春といわず、一年中が「暁を覚えず」。夜遅くまで勉学に勤しんでのことと推測されるが、始業時間ぎりぎりに登校するというのはまずかろう。特に、生徒会長ともなれば。
 そう、須藤京一は思っている。

 「今日こそは、何としてでもあの白いMTBを止めてみせる!」
 校門前に仁王立ちになり、京一は心に誓った。
 彼はT高等学校の風紀委員長である。そのわりに、髪が黒くはなかったり、目つきが良くはなかったり、制服を改造してなくはなかったり、するのだが。
 京一から妙なオーラが出ているのを感じ取ったのか、登校する生徒たちの誰ひとりとして彼にあいさつをする者はいなかった。オーラを感じることのできない者も、空を睨みつけている風紀委員長に、積極的に声をかける気にはならなかっただろう。

 T高等学校では、予鈴が鳴り終わると同時に校門を閉める。京一が断固として主張し、実現したことだ。男子校なんだから痴漢も入ってこないだろうと渋る教師を相手に、物騒な世の中になったのだと説明した。となりの市の男子校に泥棒が入ったこともあって、数日後に京一の提言は採択された───言ってみるものだ。

 京一は腕時計をちらりと見た。朝、出かける前に117で確認し、秒針までぴったり合わせてある。予鈴まであと2分。
 校門前にはいつのまにか人だかりができていた。登校したものの、自分たちの教室には入らずたむろしているのだ。数人のグループになり、ぼそぼそと話しながら、橋のほうを見ている。その期待に満ちた眼差しに、京一は顔を曇らせた。
 彼等と京一と、待っているものは同じなのだ。しかし───。

 「来た!」
 だれかが叫んだ。京一も視界の端にそれを確認した。ちらりと時計を見る。予鈴まであと3秒。
 「ちっ、まだか!」
 京一の叫びにかぶるように、リンゴンと予鈴の第一声が鳴り響く。橋の向こうから、すさまじいスピードで駆けてくるもの。京一と、生徒たちが待っていたもの。
 「白いMTB!」
 ぐっ、と京一は校門にかけた手に力を入れた。予鈴はまだ鳴っている。
 「はやく、はやく終われ……っ!」
 のんびりとした鐘に、京一の額から汗がこぼれる。見る見るうちに影は大きくなり、顔を判別できるくらいに近づいていた。こんな正気とは思えないスピードで自転車をこいでいるというのに、彼の顔には汗ひとつなく、歯をくいしばってもいない。爽やか自転車青年そのものだ。
 鐘はまだ鳴っている。
 「この化け物が」
 京一のいう化け物とはT高校の生徒会長である。どんなときにも顔が崩れないという、恐ろしい男だ。

 化け物───高橋涼介は、車体を大きく傾げた。キキキ、と耳をつんざくほどタイヤを鳴らし、火花を散らせ。京一の目の前を、スライドさせたまま通りすぎる。
 「すげぇ、高橋涼介のチャリドリ!」
 「かっこいーっ」
 生徒たちのさわぐ声も、京一の耳には入っていなかった。
 ───最後の鐘が、ようやく鳴り終わった。

 「くそっ、あと2秒遅ければ!」
 校門を閉めるのも忘れ、京一は歯噛みする。白いMTBは京一から少し離れたところに停まった。そのまま自転車置き場まで行けばいいものを、こうして立ち止まるのだから質が悪い。
 「オレの計算に間違いはない。オレに勝ちたければ放送プログラムをいじるんだな!」
 ふふん、と白いMTBこと高橋涼介はハナで笑った。
 「じゃあな、須藤。ああ、ちゃんと校門は閉めておけよ。毎朝ご苦労さん」
 七十五戦、七十五連敗。記録は今日も更新だ。京一は微動だにしない。いや、できなかった。

 「涼介……学生の身でそんなことができるわけないだろう……」
 やっとのことで、反論を唱えてはみたものの。それを聞くべき相手は、すでにその場にはいなかった。烏川を渡ってきた風が、京一の足元で土埃をたてた。

 須藤京一、風紀委員長。朝はやくから学校に来ているのにもかかわらず、彼は無類の遅刻魔として有名であった。