伝説のレインボーセブン  第1話


 週末になれば昼も夜もそれなりに賑わう赤城の山も、平日の夜であっては数台の車が行き交うだけで閑散としている。まして、現在時刻は午前3時。そろそろ夜が明けるころだ。冬山の夜はものすごく寒い。啓介は車外でタバコをくゆらせながらくしゃみをした。
 高橋啓介、職業レーサー。2児の父である。

 いい年してなにやってんですか、と啓介の配偶者は眉をひそめるけれど、そういう彼だっていまだに実家の手伝いと称してはときおり秋名を攻めているのだからお互い様だ。息子も娘も手がかからなくなったのだから、ちょっとの息抜きくらい許してくれてもいいではないか。そう啓介がだだをこねると、しぶしぶながら配偶者である拓海さんは許してくれた。たとえ今すぐに自宅の玄関を開けたとしても、ちゃんと啓介は中に入れる。なんてすばらしい。───昔、啓介がまだ血気盛んだったころ。拓海さんの制止をきかずに飛び出していった結果、彼はみごとにしめだされたのだ。家に帰ってもドアは何重にもロックされ、チェーンまでしっかりとかけられていて。娘の桜が学校に行く時間になるまで、ドアは開かなかった……。あんな思いは二度とごめんだ。

 (そろそろ帰るかな。けっこう走ったし、それにあいつ、帰ってきてんだもんな)
 そう、拓海さんは夜の峠行きを許してくれる。かわいい桜も、もちろん快く送り出してくれる。しかし、もうひとりの子どもはそうはいかないのだ。
 啓介の息子は千本という。顔立ちは啓介にそっくりだ。拓海さんの子どもでもあるから髪の色素は薄く、ほとんど啓介の色と変わらない。啓介と啓介の兄の涼介、それに千本が並ぶとたいそう紛らわしい。
 千本は大学卒業後、就職した。それ自体は喜ばしい。9ヶ月の合宿研修を終えて、昨夜帰宅した。それもいい。
 啓介は、ただひとつ、千本の就職先が気にいらなかった。
 (なんであいつは警察なんかになってやがんだよ!裏切者〜っ!)
 高橋千本は警察官だった。もちろん、馬の群れる県に所属している。
 (思いだしたらムカついてきた……)
 くやしくて、啓介はすいさしのタバコをぎゅと握りしめた。当然ながら、熱かった。



 ───話は6時間ほどさかのぼる。
 「オレ、配属先きまったから」
 千本は啓介似の顔を拓海と桜にむけて、にこりと笑った。正面に座っている啓介には目もくれない。
 「へぇ、どこだよ。風俗担当?」
 ぴくん、と千本のこめかみがひきつる。つり目をさらにつりあげて、親である啓介をにらみつけてきた。
 「アンタはどーしてすぐ頭がそっちに行くんだよ。桜もいるんだぞ!」
 「ひとりでいい子ぶんじゃねぇ、おまえみてーなのムッツリスケベってゆーんだ!」
 「それが親の言うセリフか、万年発情期期のくせにっ」
 「チモト〜!?」
父と息子の言い争いをよそに、拓海さんと桜はもくもくを食事を続けていた。3ヶ月のご無沙汰だが、高橋家ではこれくらいの諍いは日常茶飯事である。
 「で、配属先は?」
ひととおり終わったころ、拓海さんはやっと口を開いた。食事のときは食べることに集中しているから、あまりしゃべらないのだ。生まれ育った環境というものだろう。
 「……高速隊」
 息をきらせながら、それでも千本は律儀に答えた。
 「高速隊って、おまえそんじゃGT−Rに乗んのかよ!?」
 思わず啓介は千本の襟元をつかんでいた手から力をぬいてしまう。重力は無常にも、千本の頭を床へと導いた。
 「なにすんだこのクソ親父!」
 「R乗りにかける義理はねぇな!」
 「いつまでもいつまでも、んなことばっか言ってんなよなぁ。そもそもオレが乗るのはセブンだよ!」
 頭をおさえながらの千本の叫びに、啓介はもちろん拓海さんまでもが固まった。桜はデザートの抹茶アイスを口に運んでいたが、なにか思うことがあったらしい。
 「……お兄ちゃんとお父さん、おそろいね」
 ぽそりと爆弾を落とした。



 「走るか」
 警察になんぞなってしまった親不孝者の息子のことはとりあえず忘れて、走りに集中しよう。そうしよう。千本にばれたらまたなにか言われるんだろうけど、と啓介はためいきをつく。やはり息子に嫌われるのは父親としてさみしいものなのだ。
 FDをゆっくりと駐車場から出し、一気に加速する。急速に近づくタイトなコーナーをすりぬけ、二重ガードレールを横目にみながら啓介は躊躇することなくアクセルを踏みこんだ。覚えてしまったコース、なんども描いたライン。赤城は啓介のホームコースだ。

 「ん……?」
 つづら折りのコーナーを下る啓介のFD、その背後にライトが光る。後続車のようだった。しかし、上には啓介しかいなかったはずだ。沼のほうから来た車だろうか。それにしても、全速ではないにしろ啓介のFDについてこれるのだから相当なものだ。
 ぴたりと後ろについた車のライトに、啓介はある予感を覚えた。それと同時に遠い記憶が甦る。
 「そういや前にもこんなことあったな。秋名だったけどよ」
 後ろにつかれてあっさり抜かれた、夏の秋名山。あのときのユーレイは啓介のベッドで寝息をたてているけれど。
 「このライトの感じ……FDか?」
 空が白みはじめるすこし前、朝靄が立ちこめていて車体はよく確認できない。けれど、啓介と同じスピードでついてくるライトだけがバックミラーに映っている。少しずつスピードをあげても、ライトは同じ距離からFDを照らすのだ。
 上のコースが終わる手前で、啓介はアクセルを緩めた。ちょうど靄がとぎれる地点だ。すいと左に車体を寄せ、道をあける。どんな車か見たかった。
 かなりいじってあるのだろう。そうでなければ啓介についてこれるわけがない。
 「え……?」
 啓介は我が眼を疑った。

 FD、だったのだと思う。事実、追いぬいていった後姿にはきちんとRX−7のロゴが入っている。けれど。
 「なんだありゃ。銀……?青、いや赤。黒かった気もする……」
 車体の色に気をとられ、タイヤどころかドライバーの年恰好までも、啓介は記憶にとどめることができなかった。



 啓介がレインボーセブン伝説を知るのは、もう少し後のことになる。

第1話・完