ひみつのモルモット


 拓海の疑問は、プロジェクトDにかかわる者ならだれもが一度は考えたであろうことだった。この体制を維持できるだけの資金はどこから出ているのか。いくら息子がかわいいからといっても違法行為に親がそこまでの金を出すか?拓海の父のように自ら進んで暴走するような人物ならともかく、高橋兄弟の父は医者だったはずだ。あの二台のRX−7だって涼介が口先八丁でまるめこんで買わせたに違いないくらいなのに。涼介が家庭教師のバイトで貯めたにしたってたかがしれている。ならばどこから?

 プロジェクトのスタッフは、たいていここで思考を止める。彼らのトップは神秘的といえば聞こえの良い、どこか常人とは違うことをしでかしそうな人物だったので。危険な想像をして血の気が凍るのは自分なのだ。くさいものにはフタを。見なかったふりをするのにも、レッドサンズからの付き合いの彼らはだいぶ慣れていた。
 暗黙の了解。こわいから詳しくきいてはいけません。

 プロジェクト内の不文律を、しかし拓海は意に介さなかった。そもそも、そんなものがあることさえ思いつきもしなかった。

 「……もういちど言ってくれないか、藤原」
 だから涼介がにっこりと微笑んでききかえしても、拓海は動じない。たまたま通りかかった史浩でさえ、なにか嫌なものを感じたのか、動きを止めたというのに。
 「ここの金、どっから出てるんすか?」
 拓海は正直にくりかえした。涼介の笑みが深まったような気がしたが、その意味なんて拓海にはわからない。
 「藤原が不思議に思うのも無理はない。……啓介」
 前置いて、涼介は弟を呼ぶ。FDをいじっていた啓介は、兄と拓海との会話に興味を抱いてはいたのだろう、すぐに顔をあげた。
 「おまえはもちろん知ってるよな?」
 「え……、オレらの出世払いだろ?」
 どうやらFDをいじっていたのはポーズだったらしく、彼はさっさとボンネットを閉じて会話にまざってきた。ふうん、と拓海は鼻を鳴らす。涼介に話しかけられたことが、そんなに嬉しいのだろうか。
 「ああそうか、そういうことにしておいたんだっけな」
 「……」
 「本当は何なんですか」
 絶句する啓介を視界のはしにうつしながら、拓海は涼介に会話の続きを促した。啓介の心中はあえて無視する。だってきっと彼のアタマの中は、いま涼介のセリフでいっぱいだ。どういうことだよアニキ、とかなんとか思っているはずだ。わかりやすいヒト、と拓海はこっそりためいきをついた。

 「知りたいか?」
 頷くと、涼介は軽く腰をかがめ、拓海にささやきかけるように──それにしては声が大きかったが、こたえを返した。
 「啓介が自分の体で稼いだ金だよ」
 「カラダ、って」
 拓海の脳ははじめ、その単語をうまく変換できなかった。カラダが体のことだと理解できたと同時に、全身がかっと熱くなった。衝動にまかせて、自分よりだいぶ高いところにある胸倉をつかむ。
 「けぇすけさん?」
 「ちが、ちがうって藤原!おちつけ、な?……アニキ、真顔で冗談いうなよぉっ!」
 この手のことに関しては拓海には苦い思い出がある。しかも、女のコならばともかく、やたらとでかい男を相手に手加減する気にもならない。まがりなりにも体育会系の拓海に突然おそいかかられた啓介は防戦一方だ。降参とばかりに両手をあげて、腰も引き気味になっている。
 「信用ないな啓介」
 涼介が妙に愉しそうなのは、決して拓海の思い違いではないだろう。からかわれたのだとわかって、やっと啓介から手をはなした。
 「まぁ、誤解されるような言いかたをしたのは悪かった。でもあれはおまえが作った金だぞ」
 「え?」
 はなれようとした拓海にヘッドロックをかましつつ、啓介は兄をふりかえった。腕をなんとか外そうとしていた拓海も抵抗を止める。
 「啓介さんが?」
 仰ぎ見ると、啓介と目線がかちあった。その目にはとまどいが浮かんでいて、啓介に心当たりがないことを教えていた。
 「想像できないだろうが、こいつは昔、体が弱かったんだ。そうだな、啓介?」
 「あ、ああ……」
 同意を求められて、啓介は素直に頷いた。
 「夜中に咳が止まらず苦しそうな啓介をみるたびに、おれたち家族はなんとかしたいと思ってね。いろいろな薬をためしてみたんだ。うちは病院だからね。中には承認前の薬もあったけど……」
 啓介の頬から血の気がひいていく。拓海はわけがわからず、涼介と啓介とを見比べた。 
 「啓介、おまえは咳をするとよく白い薬を飲んでいただろう?」
 「アニキー!?」
 啓介はすでに涙目だ。そうか、と拓海は納得する。要するに、アレだ。
 「啓介さん、もしかしてモルモット?」
 「うそだー!」
 アニキがそんなことするはずないだの、何かの間違いだだのとひとりぐるぐるまわる啓介から、拓海はさりげなく身をひいた。
 「結核だったら半径1メートル以内立ち入り禁止ですからね。うち、店なんで」
 距離をとりながら宣言し、拓海は涼介の背後に隠れた。啓介の腕から逃れるならばここがいちばんだ。
 「ちがうって!」
 拓海の読みどおり、涼介効果は絶大だった。いつもならばすぐに伸びてくる手が、今はくやしそうに握りしめられている。
 ばかケイスケ、くやしいのはこっちだよ──拓海の心の声は、どうしたって啓介には届かない。
 
 「涼介……おもしろいのはわかるが啓介が可哀想だぞ。ほんとに治験薬だったのか?」
 「いや、単なるリンコデだ。資金源はおれと啓介の出世払いということになってる」
 「よ、よかった」
 啓介はほっとしたように脱力した。リンコデならばごくありふれた咳止め薬だ。彼にとってはこの際、涼介にだまされたなんてことはどうでもいいらしい。
 「ほらな、藤原!アニキがおれを実験台にするわけねぇだろ」
 胸をはる啓介に、拓海は白い目をむけた。

 どちらにしても立ち入り禁止令はしばらく解除できそうにない。